回顧録(24):引き続き火事
7月6日、月曜日です。
ダンナは1週間ぶりに山へ芝刈りに・・・じゃない、出勤。ジョーイは今日から自閉症児サマープログラムが始まるので、朝バスに乗って登校しました。
いえ〜い!!
と小躍りしているとジャックが「どっか行こ
」
そうだまだコイツが居たのだった・・・
それでも今までに比べればずいぶん自由の利く身になります。
時間を捻出して新しい記事を書きたいと思いますが、それまで回顧録の続きをドゾ。
過去の回顧録はカテゴリ「回顧録」でまとめて出てきます。
回顧録(24):引き続き火事
さて、出産から3日経っても4日経っても、ワタシの下半身の痛みは良くならなかった。
ワタシより早く子供を出産した友人は、3日目にはもう普通に歩き回っていたのに、ワタシの痛みは酷くなるばかりである。イメトレの消防車も水が尽きた。鎮火しない火事に巻き込まれて殉職した消防士もいた。(殺すなて?)
ジョーイ生後5日の金曜日、ワタシは両親にジョーイを任せて、ダンナに病院に連れて行ってもらった。
患部を見た医師は一言「普通です」とのたまった。
ワタシは号泣した。

こんなに痛いのなら、何かの異常であったほうが気が楽だった。
友人たちがワタシと同じ痛みを感じながらあんな風にスイスイ歩いているとは信じがたかった。
ワタシは痛みには強いほうだと思ってたのに・・・。
井の中の蛙の驕りだったのだろうか・・・。
意味不明な敗北感。
そんなものに打ちひしがれていても、ジョーイは遠慮せず2時間ごとに空腹で泣く。
(当たり前だ。新生児が声をころして嗚咽などしたらホラーだ。)
何とかベッドに座って授乳する。
処方箋なしでも買える痛み止めを飲んで、睡眠不足にへろへろになりながら、母に助けてもらって何とか過ごしていた。
その週末、父は日本に帰った。
それから更に数日経った3月15日(ジョーイ生後10日)。
「あんたちょっとヘンなんとちゃう?
」
と母に言われた。
「ワタシはいつもヘンでおま。
」
「そうやなくて、なんか目の焦点が合うてないし、足元がおぼつかないみたいやし・・・」
ワタシ自身は痛みと寝不足でパッパラパーだったので自覚症状なかったのだが、体温計で熱を測った結果、
40度近い熱があることが判明した。
ひいいいいい
普段から平熱が36度なく、37度近くになるともうだるくなるワタシにとって、39度を越すなどエベレスト並みに未踏の領域だ。しかも解熱剤の役目もする痛み止め(イブプロフェン)を飲みまくっていてこの高熱。
ダンナが会社から帰ってくるのを待って、夜間の担当医に連れて行ってもらった。
そこで熱を測ったらやっぱり40度。
家を出る前に解熱剤を飲んだばかりだと言うのに「種類が違うから大丈夫」と更なる解熱剤(アセタミノフェン・アスピリン)を飲まされた。
そしてその夜間の担当医は、
「ここには婦人科の医者がいない。キミの熱は多分産後の経過が悪いせいだから、ちゃんとした設備のある病院の緊急治療室に行ったほうがいい」
と言って、ジョーイが生まれた病院のERに連絡をとってくれた。
ダンナの運転する車に再びガニ股で乗り込みERに到着すると、結構な混みようで夜間担当医からの電話など関係なかったかのように1時間以上待たされた。
やっとワタシの番になり、また熱を測られたがやっぱり下がっていない。
今日は何時に何の解熱剤を何錠飲んだ、さらに2時間前に夜間担当医で別の解熱剤を追加して飲んだと告げると、
「そんなに飲んでもこれだけ熱が!?」
と看護婦たちが色めきたった(ように見えた)。
ワタシはベッドのある部屋に通され、とりあえず脱水症状防止のための点滴をされた。
医者が来て、何をされるのかと思ったら、いきなり指で目を開かれペンライトで瞳孔を照らされ、ぎょっとした。
これはまさにドラマで検死医が死体の死亡確認をするシーン!
これが吉本新喜劇なら
「ご臨終です
」(チーン)
とボケがつづくところだ。
幸い死んだことにはされなかったが、
「自分の名前は言えるか」
「この指何本立てているか解るか」
などとおっそろしい質問をされた。
なんだなんだなんだなんだ?
ワタシ、死ぬんですか〜??
質問にはちゃんと答えられたし、意識も朦朧とはしていなかった(と思う)のだが、なんせこの熱を下げなければということで、そのまま緊急入院となった。
もしかして♪もしかして♪
ワタシ、今までの人生で一番天国に近い場所に居る?
なんてめっちゃ字余りな替え歌が流れる煮えた脳で、つづく。
↓危ない橋渡ってます!クリック願います!

ダンナは1週間ぶりに山へ芝刈りに・・・じゃない、出勤。ジョーイは今日から自閉症児サマープログラムが始まるので、朝バスに乗って登校しました。
いえ〜い!!
と小躍りしているとジャックが「どっか行こ
」そうだまだコイツが居たのだった・・・

それでも今までに比べればずいぶん自由の利く身になります。
時間を捻出して新しい記事を書きたいと思いますが、それまで回顧録の続きをドゾ。
過去の回顧録はカテゴリ「回顧録」でまとめて出てきます。
回顧録(24):引き続き火事
さて、出産から3日経っても4日経っても、ワタシの下半身の痛みは良くならなかった。
ワタシより早く子供を出産した友人は、3日目にはもう普通に歩き回っていたのに、ワタシの痛みは酷くなるばかりである。イメトレの消防車も水が尽きた。鎮火しない火事に巻き込まれて殉職した消防士もいた。(殺すなて?)
ジョーイ生後5日の金曜日、ワタシは両親にジョーイを任せて、ダンナに病院に連れて行ってもらった。
患部を見た医師は一言「普通です」とのたまった。
ワタシは号泣した。

こんなに痛いのなら、何かの異常であったほうが気が楽だった。
友人たちがワタシと同じ痛みを感じながらあんな風にスイスイ歩いているとは信じがたかった。
ワタシは痛みには強いほうだと思ってたのに・・・。
井の中の蛙の驕りだったのだろうか・・・。
意味不明な敗北感。

そんなものに打ちひしがれていても、ジョーイは遠慮せず2時間ごとに空腹で泣く。
(当たり前だ。新生児が声をころして嗚咽などしたらホラーだ。)
何とかベッドに座って授乳する。
処方箋なしでも買える痛み止めを飲んで、睡眠不足にへろへろになりながら、母に助けてもらって何とか過ごしていた。
その週末、父は日本に帰った。
それから更に数日経った3月15日(ジョーイ生後10日)。
「あんたちょっとヘンなんとちゃう?
」と母に言われた。
「ワタシはいつもヘンでおま。
」「そうやなくて、なんか目の焦点が合うてないし、足元がおぼつかないみたいやし・・・」
ワタシ自身は痛みと寝不足でパッパラパーだったので自覚症状なかったのだが、体温計で熱を測った結果、
40度近い熱があることが判明した。
ひいいいいい
普段から平熱が36度なく、37度近くになるともうだるくなるワタシにとって、39度を越すなどエベレスト並みに未踏の領域だ。しかも解熱剤の役目もする痛み止め(イブプロフェン)を飲みまくっていてこの高熱。
ダンナが会社から帰ってくるのを待って、夜間の担当医に連れて行ってもらった。
そこで熱を測ったらやっぱり40度。
家を出る前に解熱剤を飲んだばかりだと言うのに「種類が違うから大丈夫」と更なる解熱剤(アセタミノフェン・アスピリン)を飲まされた。
そしてその夜間の担当医は、
「ここには婦人科の医者がいない。キミの熱は多分産後の経過が悪いせいだから、ちゃんとした設備のある病院の緊急治療室に行ったほうがいい」
と言って、ジョーイが生まれた病院のERに連絡をとってくれた。
ダンナの運転する車に再びガニ股で乗り込みERに到着すると、結構な混みようで夜間担当医からの電話など関係なかったかのように1時間以上待たされた。
やっとワタシの番になり、また熱を測られたがやっぱり下がっていない。
今日は何時に何の解熱剤を何錠飲んだ、さらに2時間前に夜間担当医で別の解熱剤を追加して飲んだと告げると、
「そんなに飲んでもこれだけ熱が!?」
と看護婦たちが色めきたった(ように見えた)。
ワタシはベッドのある部屋に通され、とりあえず脱水症状防止のための点滴をされた。
医者が来て、何をされるのかと思ったら、いきなり指で目を開かれペンライトで瞳孔を照らされ、ぎょっとした。
これはまさにドラマで検死医が死体の死亡確認をするシーン!
これが吉本新喜劇なら
「ご臨終です
」(チーン)とボケがつづくところだ。
幸い死んだことにはされなかったが、
「自分の名前は言えるか」
「この指何本立てているか解るか」
などとおっそろしい質問をされた。
なんだなんだなんだなんだ?
ワタシ、死ぬんですか〜??
質問にはちゃんと答えられたし、意識も朦朧とはしていなかった(と思う)のだが、なんせこの熱を下げなければということで、そのまま緊急入院となった。
もしかして♪もしかして♪
ワタシ、今までの人生で一番天国に近い場所に居る?

なんてめっちゃ字余りな替え歌が流れる煮えた脳で、つづく。
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